新人歓迎会の会場は、駅前の少し高級な居酒屋だった。予約札の並ぶテーブルを見た瞬間、胸の奥が冷えた。――俺の席だけ、ない。名札も箸も、グラスすら置かれていない。空席がないわけではない。最初から「俺だけ外す」意図が透けて見えた。
俺は十八歳でこの会社に入った。高校を出てすぐ、家計の事情で進学は諦めたが、現場で泥をかぶりながら仕事を覚え、誰より早く数字を作ってきた自負がある。だからこそ、こんな露骨な扱いは堪えた。周りの同僚たちは気まずそうに視線を泳がせ、誰も何も言わない。
乾杯の音頭を取ったのは、エリート部長の桐山だった。
「本日は優秀な大卒二人の入社を祝して――」
拍手が起こる。部長は新入社員の二人にだけ近寄り、肩を叩きながら満足げに笑った。
「現場叩き上げ? まあ悪くないが、会社は学歴が大事だからな」
桐山はわざと聞こえる声で言い、周囲が乾いた笑いを漏らした。俺は手にしたままの上着を握りしめ、席のないテーブルをもう一度見た。
――ここに俺の居場所はない。
なら、答えは一つだ。
俺は静かに一礼して言った。
「不採用だったみたいなので、帰りますね」
一瞬、空気が止まった。次の瞬間、桐山が鼻で笑う。
「は? なに拗ねてんだよ。席がないくらいで辞めるのか? 子どもだな」
だが、俺は笑わなかった。拗ねているのではない。判断しているだけだ。歓迎会の席すら用意しない会社が、明日から俺を守るはずがない。
そのまま店を出ると、冬の夜風が頬を刺した。胸が痛いのは悔しさではなく、ようやく決心できた安心感だった。帰宅後、俺は退職の意思を短い文面にまとめ、翌朝提出できるよう準備した。
そして翌日。出社すると、社内が異様にざわついていた。受付前には見慣れないスーツ姿の男たち。名刺を覗き見て、俺は息を呑んだ。――取引先の監査担当と、人事コンサルのチーム。
呼び出されたのは桐山部長だった。会議室のドア越しに聞こえたのは、低く抑えた社長の声。
「昨日の歓迎会、どういうことだ。現場の中心社員に席がない? 大卒だけ祝う? 取引先にまで話が回っているぞ」
桐山の顔は青い。どうやら昨夜、俺が席を外されたことを見ていた同僚が、ぽろりと取引先の担当に漏らしたらしい。ちょうどその取引先は、現場の改善提案を最も評価してくれていた相手だった。そして、その提案書の作成者が誰か――監査担当は既に把握していた。
社長が俺を呼び、頭を下げた。
「君に失礼があった。今日から配属は変更する。現場改善チームの責任者補佐として、取引先との窓口も任せたい」
桐山は唇を震わせ、何か言いかけたが言葉にならない。俺はそこで初めて理解した。席がなかったのは、俺の価値が低いからではない。桐山が、俺の存在を邪魔だと思っていたからだ。
俺は静かに答えた。
「昨日、私は不採用だと判断しました。会社ではなく、部長にです。ですが、社長の言葉は“会社としての回答”でしょう。
なら、条件を確認してから決めます」
十八歳で入社した俺には学歴はない。だが、仕事の結果と信頼は積み上げてきた。歓迎会で空席を見た瞬間は孤独だった。けれど翌日、空席が誰の恥になるのかはっきりした。
そして俺は、心の中でそっと結んだ。
二度と、誰かの見下しのために黙らない。自分の席は、自分の手で作る。
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