四十三歳で妊娠が判明した日、私は長い冬が終わったような気持ちになった。十年以上、夫の太さんと二人三脚で不妊治療を続けてきた。診察室で医師が「まだ六週ですが、心拍が確認できています」と告げた瞬間、胸の奥が熱くなり、涙が止まらなかった。
家に帰り、私は検査結果を握りしめたまま太さんに伝えた。「妊娠してたよ。やっと……やっと心拍も確認できたの」
正直、出産時は四十三歳。身体への負担も不安もある。それでも、授かった命を守りたい、ただそれだけだった。
ところが、夫の反応は祝福とは程遠かった。太さんは一度、私の腹を見たあと、吐き捨てるように言った。
「その歳でゴミを産むなんて地獄絵図だな」
耳を疑った。冗談だと言ってほしかった。
私は震える声で問い返した。「ずっと一緒に治療してきたじゃない」
しかし太さんは、まるで事務的に“リスク”を並べ立てた。「高齢出産で障害児が生まれる確率は上がる。俺の実家は由緒正しい家柄なんだぞ。恥さらしを産んでどうすんだよ」
私の中で何かが崩れた。夫婦で積み上げてきた時間が、彼にとってはただの退屈しのぎだったのだと知ったからだ。それでも私は言った。「どんな子でも責任持って育てる。私はこの子を産む」
その答えが決定打だったのだろう。太さんは冷たく告げた。「だったら離婚だ。別れたくなければ下ろせ。そうすれば家政婦として家には置いてやる」
私の返事は一つしかなかった。「嫌よ。絶対に産む」
その日から、私の中で“夫”は消えた。彼は養育費も払わないと言い捨て、連絡を絶てと命じた。私は泣きながらも頷き、九か月の妊娠期間を一人で耐え抜いた。
出産直前、太さんから突然電話が来た。「生まれたか? 五体満足か?」
「若い女の方が健康な子を産む確率が高いからってさ。母さんがうるさくて」
女を畑扱いする家。私は怒りより、底知れない虚しさを覚えた。そして一つの結論に至った。——この人たちに、子どもの人生を触れさせてはいけない。
それでも私は、表面上は冷静に振る舞った。「もし障害があるなら連絡しない。あなたの悪意の言葉で傷つきたくない」
太さんは軽く笑って「連絡があれば健常、なければ障害ってことな」と言った。命を“判定”で区切るその口ぶりに、私は背筋が凍った。
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次のページ引用元:https://www.youtube.com/watch?v=v-5qnSAb45o&t=355s,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]